仕事や学校、それに趣味やスポーツの先輩、あるいは親戚や近隣の人などでも、とにかく面倒見のいい人は、時々いるものです。
このような人の特徴とは何でしょうか。
シンプルに親切なのか、何か目論見があるのか、あるいは生まれつきの性分であるのか、後天的なものであるのか。
気になる人もいることでしょう。
1.面倒見のいい人に助けられた経験が多い
例えば子供時代なら、天候した時親切で面倒見のいい子に助けられたといった経験が複数回あれば、慣れない人や新入りの人に対し「面倒を見る」ことの大切さが自然と身につきます。
仕事においても、ただ辛らつなだけだったり、身勝手だったりする先輩がいる仲、親身になって話を聴いてくれる先輩にサポートされた経験が多ければ、同じく自分自身も他者をサポートすべき場面があるだろう、と考えるようになります。
2.面倒を見ることで自分も成長できると考えている
何かについて経験不足な人、まだまだ未熟な人の面倒を見ることで、熟達した人間には見えにくくなったことが見えるようになります。
職場や学校の問題点、業種・職種の問題点なども、いわゆるビギナーの面倒を見ている中で発見できることもあります。
そのような経験を積むことで、自分自身もより成長できる、と意識的、または無意識的に考えているのが彼らの特徴です。
3.「いい人ぶっている」と思われることを、いとわない
面倒見のいい人は、時としてはライバル的な人から「いい人ぶっている」などと陰口を叩かれることもあります。
しかしながら自己保身に走ることなく、面倒を見るべき場面、世話を焼くべき場面では堂々と行動するのが彼らです。
何か打算があるのではないか、とか、結局人によく見られたいだけではないか、などの声に左右されないのが彼らであり、面倒を見られて心地よくなる人も、そのような潔さを感じ取ります、
4.知っていることや自分の経験談などを、語らずにいられない
どちらかと言えば明確な「自分の欲求」から面倒見がよくなっている人もいます。
何らかのスポーツにおいて、ビギナーに自分の経験をどうしても語りたくなったり、部下に自分の仕事失敗談を語らずにはいられなくなってしまったり。
けれど、それで特に誰も困らないのであれば、何の問題でもないでしょう。
5.「人は限定的な役割だけをこなせば良い」とは考えていない
誰かの親であれば、基本的にはその子どもの面倒をしっかり見ていれば、文句は言われませんね。
また仕事でも、自分が指導しなくてはならないという部下の面倒を見ていれば、他の同僚などの世話を焼くことは、やはり基本としては不要とされます。
しかし本当にそれだけで良いのだろうか?と彼らは考えます。
自分の子ではない近所の子供の面倒にしても、ことと次第によっては見る必要があります。
あるいは自分の部下ではないどころか、同じ職場ではない同業者などにも、何かアドバイスすべき状況はあるのでは?と、何かととらわれず広く考えるのが彼らの特徴です。
6.打算がある場合も
「何人かの後輩を味方につけておけば有利になる」といった打算から、面倒見が良くなる人もいるにはいます。
性悪説的な考えが強い人では、「面倒見のいい人」を嫌う傾向にもなります。
あまりにも「うさん臭い」場合では注意も必要でしょう。
しかしこのような性悪説的なことを言い出せば、「仕事を頑張るのも、モテたいからではないか」とか、「教育者や医療関係者になるのも、尊敬されたいからではないか」などいくらでも言えてしまいますね。
あまりひねくれたものの見方も、考えものではあります。
面倒見のいい人では、比較的シンプルな考えから、博愛的で親切な行動を取ることが多いものです。
ときに嫌われることもある彼らですが、長く接触していくうちにその本質が見えてくることでしょうし、気がつけば自分自身が面倒見のいい先輩などになっていることもあります。
このような面倒見のいい人の功績は特に数字などに現れませんが、案外と世の中を回すキーポイントにもなっているのです。